2013-05-31

1999年のころ

1999年のころ、わたしは20代なかばで、
自分には大きすぎる仕事をまかされて、
毎日毎日、息をするのもたいへんだった。
仕事仲間もいたし、楽しかったし、
やりがいもあった。ひとりではなかった。
でも、どうしてか、ひとりぼっちの気がして、
さみしかった。
毎日毎日、朝と夜と、
多摩川の上を、いったりきたりしていた。
その夏は、
ヨ・ラ・テンゴの「I Can Hear The Heart Beating As One」と、
ブラッドサースティ・ブッチャーズの「未完成」ばかり聴いた気がする。
多摩川の水が流れていくのをみながら、
川沿いで野球するひとたちをみながら。

その冬にわたしははじめて、
血がつながらないひとと、家族になった。
あれから、ずいぶんながい時間がたって、
いろいろなまちに行き、
心臓がつぶれるかと思うような、つらいこともあったりしたけど、
わたしはいつも、ひとりぼっちではなかった。
これからもずっと、ひとりぼっちではないと。

昨日、
唯一無二の、ギターを弾くひとの、
唯一無二の、歌を歌うひとの声を、ふたたび聴きながら、
突然、また、
ひとりぼっちになってしまう日がくるかもしれないことを、考えた。
それは突然、やってくるかもしれないのだ。

歌は、残る。
音楽も、残る。
でもやっぱり、さみしい。

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